図南の翼/小野不由美

図南の翼 十二国記 (講談社X文庫)

図南の翼 十二国記 (講談社X文庫)

何度目だ!でも珠晶好きなんだ!それまでさんざん珠晶の理論に納得させられて最後の泣きはなー泣く子には勝てないしあの構成は見事すぎる。12歳なんだぜ…。
図南というか珠晶のここが好きだ を抜粋していたらすごいことになったが、でも貼る。読み返して「どうして雇っておかなかったの」のくだりがない!と気づいてしまった…。

三章-5(p197-198)
「あたし、黄海には道がないって聞いたから、山の中に入るようなものだと思っていたの。以前、栗を拾いにいったことがあるの。下草をかき分けて、邪魔になる枝を打ち払って、木の幹に縋って登ったり、草の根本を掴んで下ったり。そういうものなんだな、と思って。問題はそうやって上り下りしている間に、方角を見失わないでいられるかどうかなの。だからね、それとなく山に詳しい人に、方角の知り方を聞いたりして」
「へえ?」
笑った利広に苦笑を返して、珠晶は息を吐く。
「でも、黄海には道があるんだわ。とりあえず今までのところ、道なりに歩いてくれば良かったわけじゃない。問題は、行けども行けども、街がないということなのよね」
「ふうん?」
「街道を歩くんだったら、疲れたらそのあたりの街に寄ればいいのよね。必要なものは、ちょっと寄り道さえすればいくらでも手に入れられる。お腹が空いたら食べ物を買ってくればいいんだし、喉が乾いたら、ちょっと盧に寄って井戸を借りてもいいわけじゃない。あたし、乾に着くまでに宿が取れなくて冢堂の床下で寝たことがあったけど、黄海で野宿するのもそんなことなんだと思っていたんだけど、実は全然、性質が違うのよね。街道で野宿するときは、ちょっと街に寄っていろんなものを仕込んでこれるんだもの」
 珠晶は言って、薪になりそうな小枝を拾う。
「道っていうのは、平らな地面が続いていることじゃないんだわ。そこを行く人が、飢えたり乾いたりしないような、疲れたら休んだりできるような、そういう、周囲の様子ごと道って言うのよね。だから確かに、黄海には道がないのよ」

三章-5(p198-199)
「いいわよ、笑ってなさい。どうせその後には、朱氏って言うのは、黄朱の中でも特別なんだから、なりたくてもなれるもんじゃない、とか言うわけでしょ」
 何かになりたい、と珠晶が言うと、だいたい大人はそう言って笑うのだ。
「だいたい、大人って勝手なのよね。たくさんの騎獣を扱えるから、騎商になりたいとか言うと、子供っぽいことを言う、と言って笑うの。なりたくてなれるもんじゃないんだ、って言うから、学校に行きさえすればなれる官吏になろうとしたのに、そうすると今度は、この年で官吏になりたいなんて、子供らしくない、と言うのよ。うんざりしちゃう」

三章-7(p219-220)
「頑丘は黄朱だ。だから、私の同類ではない。私たちの思惑は理解できない」
「へい、さようでございますか」
 くすりと利広は、更に笑った。
「これは理解を拒絶する言葉だ。説明されなければ、理解できるもできないもない」
「俺が狭量だと言いたいわけか」
「そんなことは言わないよ。黄朱の気持ちは黄朱にしか分からない。それも事実なんだよ。何事につけても、自分の身に起こってみなければ、理解できないものというのはあるからね。それは事実だけれども、同時に理解を拒絶する言葉でもある。理解を拒絶するくせに、理解できない相手を責める言葉だ」

五章-7(p349-353)
「だったら、王になるのを諦めて黄朱になるか?」
 珠晶は首を傾げた。
「あたしが黄朱なら、一緒に行っても構わないの?」
「黄朱になるいうことが、どういうことなのか分かっているならな」
 珠晶は溜め息をついた。
「そういうのは、侮辱だわ。腹の立つ人ね」
「――ほう?」
「それは、あたしに――あたしみたいな子供には、黄朱の辛さが分かるはずがないということでしょ」
「……そうじゃないのか?」
「あたしを子供だってばかにするのは本当のことだから許すわ。黄海のことを知らないというのだって許してあげる。けれども、世の中のことなんて何も分かってないおばかさんだと思われるのは許せないわ」
「へえ? 分かってるって?」
 揶揄って頑丘が言うと、間近に座った子供は真剣に腹を立てた様子で頑丘をねめつける。
「あなた、目があるんでしょう? 耳があるでしょう? そこにあるものを目を開いて耳をそばだててちゃんと受け止めていれば、分かることだってたくさんあると思わない?」
 頑丘は苦笑する。
「嬢ちゃんに黄朱の知り合いがいるってか?」
「あたしの家は、連檣でも著名の豪商よ」
「正真正銘のお嬢さまか。……だろうとも」
「そういう言い方はやめなさい!」
 頑丘はあわてて手を挙げた。
「大声を出すな。頼むから」
「だったらそういう、人を侮辱するようなことは言わないことね。――うちはそりゃあ裕福だわよ。だから家生もたくさんいたわ」
 頑丘は珠晶の怒りに紅潮した顔を、しげしげと見返した。
「あたしが絹の襦裙を着て庠学に行っているとき、家生の恵花は綿の襦裙で埃にまみれて働いていたの。一日じゅう働くということがどういうことなのか、あたしにだって想像がつくし、この旅でそんなに想像とは違わないということがよく分かったわ」
 同じ年頃の娘なのに、かたや絹にくるまれて暮らし、かたやそれにかしずいて暮らす。
「家生だって浮民だわ。土地や職をなくして、家をなくして、戸籍のある郷里を離れて、寄る辺をなくしたあげくに、喰うにつめて雇われたの。最低限の生活の面倒は見てもらえるけれども、家公の許可がなくては何ひとつできないのよ。人を売り買いしてはいけない、奴隷を持ってはいけないと太綱にはある、と老師は言ってた。けれども家生は奴隷なの。奴隷とは呼ばないというだけのね」
 頑丘は珠晶を見つめる。
「家公は喰うにつめた浮民を、慈悲でもって雇い入れる。浮民はその慈悲に感謝して、末永く家生として働いて恩を返す。額面ではそういうことよ。美談だわね。けれども、そんなのは嘘だわ。浮民はもう他にどうしようもないから、奴隷同然だと分かっていて家公に雇われるの」

(中略)

「あたしには、確かに黄朱の知り合いはいないわ。けれども浮民と一緒に育ってきたのよ。どうして自分には絹の綺麗な襦裙がもらえて、どうして恵花には同じものが与えられないのか、あたしとても不思議だった。どうして恵花は一緒に食事ができないのかしら、どうして恵花の住まいは主楼にないのかしら、どうして同じ厨房で作られるのに、恵花の食べるものはあたしの食べるものと違うのかしら。――浮民になったことがあるわけじゃないけど、だから浮民のことは分からないなんて、誰にも言わせないわ」

六章-3(p380-)
玉座は子供の玩具ではない。玉座とは座るものではなく、背負うものだ。王の責務を背負うということが、どういうことだか分かっていれば、自分が王の器だなどと、口が裂けても言えるものではない」
「分かってるわよ。国を背負えと言うんでしょう。国の民の命が全部肩にかかっているのよね。王が右を選ぶか左を選ぶかで、万という単位の人が死んだり泣いたりするのよ」
「それを自分が、正しく果たせると?」
 珠晶は叫ぶ。
「そんなこと、あたしにできるはず、ないじゃない!」
 頑丘は目を見開いて、珠晶を見つめた。
「珠晶、お前――」
「あたしは子供で、国の難しい政のことなんて何にも分かりゃしないわ。黄海に来て、自分の身ひとつだって人の助けがなければやっていけないのよ。なのに他人の命まで背負えるはずがないじゃないの! どうせあたしなんて、せいぜい勉強して学校に行って、小役人になるのが関の山だわ。そんなの、当たり前じゃない。あたしが本当に王の器なら、こんなところまで来なくたって、麒麟の方から迎えにくるわよ!」
「それが分かっているなら、なぜ昇山するんだい?」
「義務だと思ったからよ!」
 長い黄海の旅、自分が非力だと感じることばかりだった。
「あたしは恭の国民だわ。もしもあたしが冢宰だったら、麒麟旗が揚がり次第、国の民の全員が昇山するよう法を作るわ!」
 珠晶の父親には昇山する気がなかった。今の暮らしを失いたくないから。
「どこかにいるのよ、王が。それが誰かは知らないけど、そいつは黄海は遠いとか怖いとか言って怖じ気づいている間に、どんどん人が死んでいるのよ!」
 どこそこに妖魔が出たと聞けば、可哀想だ、何てことだ、世の中はどうなるのだろうと憂い顔で。
「国民の全員が蓬山に行けば、必ず王がいるはずよ。なのにそれはしないで、他人事の顔をして、窓に格子をはめて格子の中から世を嘆いているのよ。――ばかみたい!」
「……珠晶」
 頑丘は手を伸べる。
「昇山しないの、って訊けば、笑うのよ。あたしが子供で、王がどんなに大変なことだか、黄海がどんなに恐ろしいところだか、知らないから言えるんだって顔をするの。あたしが子供でお嬢さん育ちで、世間知らずだからだと言って笑うんだわ。自分たちだけが分かってるって顔をするのよ」
「……そうか」
「あたしに言わせれば、身近な場所で人がどんどん死んでいるのに、他人事の顔をしてられる人のほうがよほど世間知らずよ。死ぬってことも、辛いってことも、ぜんぜん本当に分かってないんだわ。違う?」
「そうだな」
黄海は怖いところだ、そんな無茶な、って、――どこが無茶よ! あたしでさえ覚悟ひとつで来れたのに!」