魔球/東野圭吾

魔球 (講談社文庫)

魔球 (講談社文庫)

夏冬@麻耶文庫の解説に「麻耶作品は世界の中心に自分がいないと気づかされることが」不条理に思える…というようなことが書いてあったのですが(意訳かつうろ覚え)(写すつもりだったのにわすれたー)、そういう「どうにもできない大きいものへのやるせなさ」は東野圭吾にもあるねんとふと思う。
しかしなんでこれ舞台が昭和なのですか。こういう境遇を作り出すにはこの時代が必要ってこと?