八日目の蝉/角田光代

八日目の蝉

八日目の蝉

我が家は読売なのですが、私が角田光代を知る前からこの話は連載されていて読んではいないけれど目にする度題字は目に刻まれていて、ようやく読んだぜ!と少々感慨深い。私が角田光代に手を出し始めた頃に終わってるのですよね。
ロック母を読んだばかりなだけになぜか私が感慨深い。新聞連載だからか、起承転結の波が細かくて、週刊連載マンガとか昼メロをまとめて読む/見る感じ。一気に読んじゃうけどちょうつかれる。いや昼メロまとめ見はしたことないですけど(笑)例えとして。
1章の引きがすんごい。あとそこでの引きが最後にしっかり出てくるのがさすがだ。一番最後のフェリー乗り場は、薫で終わった方がいいんじゃないのかサービス多可すぎなんじゃないかとも思ったんだけど。しかし「救い」ではないのよね。というあたりが角田光代なのだなあと。ここまで書きつづったら「泣かせ」に走ることも可能なのにそうしないとこがよいのじゃないかなー。

会わなければ忘れてしまうことができる。けれど会ってしまえば、百個のことを忘れていても別の百五十のものがいっぺんに思い出される。

「私、自分が持っていないものを数えて過ごすのはもういやなの」