幽談/京極夏彦

幽談 (幽BOOKS)

幽談 (幽BOOKS)

あれですね怪談とかホラーとかそういう「読んでると背後にいるんじゃないかと思って怖くなる」的な話じゃなく、「幽談」、なのですな。その辺の違いは京極を読め薀蓄あるから、ってことになりますが。
だびんちでの怪談の書き方?みたいな連載、まあ数回読んだ程度なんですけど、それでなんとなくのみこんだ内容と、それから今まで読んだ夏彦作品、を彷彿とさせるのでああ京極だねぶれないねー、としみじみします。
「手首」の、文章読みながら感じる据わりの悪さは匣の中の少女をふと思い出すなって読み始めたんですけど、どれもやっぱり京極夏彦だったな、と。あの据わりの悪さは上手だよね本当。構成、というか明らかにする部分としない部分、明かし方、で怖さを演出するという上手さ(薀蓄あったよね骨壷の例えだっけ…いやラジオだっけ宗教?)はもちろんなんだけど、据わりの悪さがすごいと思うんだ。
成人だけ妙に「本当に怖い」なと思ったけどこれは初出が違うのか納得。ていうか「こわい」が!うまいよなあああと腹の底から思った。

私のあこがれるものの一つに「ただそこにそれがある」という話を書くひとっつーのがあります。ええとね言葉で説明できないので具体例出しますけど、まあ私の貧相な既読リストから出すしかなくて残念なのですけど、帽子ときゅうりと数字の2が一緒に暮らすホテルカクタス@江國香織。擬人化とか、比喩としてうんちゃらとか、世界観がどうとか、そういう読み解くという行為は必要なく「ただある」だけの世界を何も説明なく(だって帽子もきゅうりも数字の2も「知ってる」し)「ある/いる」という認識をさせる話。言ってること伝わるかなあ…読んでないとわかんないので非常に不親切なんですけど。帽子は自分で移動してるのに2にかぶってもらえるし、カメを飼ってウイスキーを飲んで生活している。「なぜそこにあるか」とか「この話を通してこういうことを言いたいんだ」とか、ではない、「帽子ときゅうりと数字の2の話」以外のなんでもない、帽子がアパートに住んできゅうりがアパートに住んで数字の2がアパートに住む、という話です、と。ゆーのを成り立たせる人にものすごい憧れがあります。
数字の2は割り算で生まれたというエピソードがあり、きゅうりは筋トレをする。このきゅうりと帽子っていう実際存在するものと、数字の2っていう概念上の存在をどんと置いてしまえるのがすごい…。だって今書いてる「知らない人に言葉を尽くして説明しようとしている」この姿勢が既にそぐわないですからね現在。まーそれは上記で言う「筋トレとは何ぞや」であって「数字の2という存在」について言葉を尽くしているわけではないんですけど。
でなにがいいたいかというと幽談もそういう話だよねってことです。さてまた姑獲鳥から再読するんだろうなこの人…。(他人事ぶる) あと装丁が半端なくいい。遊びかと思わせ本文印刷されてるとかときめくよ…。